習志野市
2月4日(日曜)第4回「障がいのある人を理解しよう」体験講座
※募集は締め切りました。
「光」と「音」が失われた世界で、生きる人がいます。どのような生活を送り、どのように感じているのでしょうか。私たちに何かできることは・・・
平成28年4月に施行した通称「心が通うまちづくり条例」の推進のため、「障がいを知る」ことをテーマに体験講座を実施しています。第4回の今回、テーマに取り上げる障がいは「盲ろう」※です。
※「盲ろう」は視覚と聴覚の両方に障がいのある状態をいいます。盲ろう者で著名な人物として、ヘレン・ケラー(アメリカ人社会福祉活動者)が挙げられます。
講師:村岡 美和さん(全国盲ろう者協会事務局)
日時:平成30年2月4日(日曜日) 午後1時から午後3時30分
場所:市役所GF(グランドフロアー)大会議室
定員:30名(先着順)
講師には全国盲ろう者協会事務局の村岡美和さんを迎え、自身も盲ろうの障がいのある村岡さんのお話と、受講者に盲ろう疑似体験をしてもらう内容の体験講座を実施します。
ここで、日本で初めて盲ろう者として大学に進学し、さらに大学教授(東京大学)となった福島智さんについて、毎日新聞に掲載された特集記事をご紹介します。福島さんは、幼少時に失明しながらも、明るい性格で周囲に不自由さを感じさせない程に活発に過ごしていました。しかし盲学校の高等部2年の冬、さらに大きな試練が福島さんを襲いました。
(以下、毎日新聞(2017年9月17日東京朝刊)記事より)
(中略)高度難聴になっていた右耳に加え、左耳の聴力も急激に悪化し始めたのだ。休学して神戸で自宅療養。失聴の恐怖を振り払うように薬物療法の他、東洋医学の医師の勧めで玄米菜食や毎日10キロのランニングをした。母の令子さんは伴走用にひもを腰に付けて自転車に乗り、雪の日も一緒に走った。「智も私も、必死でした」。前向きで朗らかな息子が当時吐き出した言葉をはっきりと覚えている。「この広い世の中で、僕の耳を治せる医者は一人もおらんのか!」
福島さんが思索を深めるようになったのはこのころだ。カフカ、トルストイ、芥川龍之介。国内外の文学を点字本で読みあさり、日記をつづった。当時、友人に送った手記にこんな一節がある。
「俺は何をするために生きているのだろうか?俺の存在に意義があるのだろうか?」
2か月半後。81年の春のことだ。
「はよせな、病院に遅れるやないか」
皿洗いをしていた令子さんのいる台所に、福島さんがいらついた様子で入ってきた。
このころ、令子さんは点字タイプライターを使って紙に点字を打ち出し、福島さんがそれを触って読み取る形で会話をしていたが、近くにタイプがなかった。ふと思いつき、福島さんの両手の上に指を重ねて点字タイプを打つ仕草をしてみた。点字は、縦3列、横2列、計6つの点の並びで文字を表す。例えば、左上だけ出っ張り(突点)があれば「あ」になる。点字タイプはそれぞれの点に対応するキーが6つ並び、左右の人さし指と中指、薬指の計6本で打つ。そのキータッチの要領で各指を押したのだ。
さ と し わ か る か
令子さんは「バカにするな」と怒られるかと思ったが、福島さんは上目遣いでニヤッと笑った。
「分かるで」。
新たなコミュニケーション手段「指点字」が生まれた瞬間だった。
本日、習志野市香澄自宅より依頼を受け、お伺い、車椅子にて
習志野市谷津 東京湾岸リハビリテーション病院に
通院治療をされ戻りました。